LOGINラファエルは金色の巻毛が美しい青年だ。
外見は天使のようだが、その実態は小悪魔に近い。
今世の私はこの外見に惚れ込んで、多額の持参金を持ってノイマン家に嫁いできたのだ
黙って見つめていたからだろう。ラファエルはまくしたててきた。
「おい! 何なんだよ! お前は! さっきから黙って人の顔を見つめて……! まぁ、僕が美しすぎるから見惚れるのも無理はないと思うがな」
ふんぞり返るラファエルの首元には、くっきり残るキスマーク。
「やれやれ……駄目ねぇ。そんな目立つ場所にキスマークなんかつけて……」
「な、何だって!?」
私の言葉に慌てたようにラファエルが首筋を手で抑えた。
「そっちじゃないわよ、左側だから。取り敢えず、スカーフを巻いてごまかしたら?」
「お、お前……僕を馬鹿にしてるのか!? 女じゃあるまいし男がそんなもの巻けるはずないだろう!? しかも何だよ! お前のその口の聞き方は! ……あっ! 勝手に入るなよ!」
私はラファエルを無視して室内へ入り、鼻をつまんだ。
「な、何よ……この鼻をつくような匂いは……」
室内は食べ物と香水の匂いで異臭を放っている。
「換気! 部屋の換気をしなくちゃ!」
「お! おいっ! 勝手に部屋へ入るな!」
「な、何よ! 勝手に私達の部屋へ入ってこないでよ!」
部屋の中央のテーブルには料理が残されており、椅子に座るアネットの姿があった。
肩にかかるふわふわな金髪に紫の瞳のアネットはこちらを睨みつけている。
「あら? いたのね。あまりにも静かだったからいないのかと思ったわ」
「何ですって! 誰に向かってそんな口を叩くのよ!」
アネットが私の前で本性を現す。眉を釣り上げ、歯をむき出しにする姿は……。
「まるでハイエナみたいね」
「ちょっと誰がハイエナよ!」
「おい! 待て! ゲルダ! 勝手に部屋に入るなよ!」
構わず窓あけると、3月のまだまだ冷たい風が部屋の中に一気に吹き込んでくる。
「さ、寒いじゃないか!」
「ちょっと! は、早く閉めてよ! 凍え死んじゃうわ!」
けれど私は寒さに強い人間。
「あ〜気持ちいい。2人とも、後最低でも10分は部屋の窓を開けて換気をしておくのよ。
それじゃ、私はこれで失礼するから」
「おいっ!ゲルダッ!」
ドアノブに手を触れた時、ラファエル声を上げる。
「何?」
「お、お前……、一体……何しにこ、ここへ来たんだよ!?」
ガチガチ震えるラファエル。
「はぁ? 私……最初に言ったわよね? 朝のご挨拶に参りましたって。それじゃあね」
――バタン
呆気に取られている二人を部屋に残し、扉を閉めた。
「よし、あの件は確認が出来たから……これで離縁の準備に入れるわ!」
私は意気揚々と異臭部屋を後にした――
私が「日本」と言う世界から元の世界に戻り、早3ヶ月が経過していた――「ゲルダさーん、早く洗濯物を洗っちゃいましょうよー」井戸の側でアネットが私を呼んでいる。「はーい、今行くわ」厨房に立ってウィンターと一緒に料理の下ごしらえをしていた私は窓から顔を出して、井戸の側に立っているアネットに返事をした。「それじゃウィンター。後はお願いね」「はい! ゲルダ様! 行ってらっしゃいませ」ウィンターがニコニコしながら返事をする。ううぅ……怖いわ……。私は彼が苦手だ。背は高く、体つきもゴツい。声は大きいし、性格は荒々しい。それに第一私はノイマン家で散々虐められてきたのだから、出来れば関わりたくは無い相手なのに、何故美穂さんは彼をこの屋敷に招き入れたのだろう?「どうしたんです? ゲルダ様。涙目になってますぜ? ひょっとして玉ねぎでも目に染みましたか?」ウィンターの手が私に伸びてくる。いやぁぁ! 怖い!「い、いいえ! な、何でもないわ!」思わず数歩後ずさる。「う〜ん……本当にゲルダ様はすっかり元に戻ってしまいましたねぇ……こうなってくると魂の入れ替わりとやらを信じざるを得ませんね」ウィンターが腕組みする。「え、ええ。そうよ! だ、だから……私に過剰な期待はしないで下さい!」それだけ言うと私は逃げるように厨房を飛び出した――****「それにしても本当にこの世界の洗濯は骨が折れるわ……」アネットと2人で井戸の側で大きなタライの中でゴシゴシ洗濯を洗いながら私はため息をついた。「あ、それ『日本』の話ですよね? あの世界は文明が進んで本当に便利な世界だったんですよね?」アネットが笑顔で話しかけてくる。まさかノイマン家で暮らしていた時は彼女がこんなに気さくな性格だとは思わなかった。おまけに瑠美さんによく似ているのだから親近感も湧いてくる。「ええ。そうなのよ。あの世界では『電気』と言うものがあって、なんでもボタンを押せば簡単に出来てしまうのよ。洗濯機は本当に便利だったわ。洗剤を入れてスイッチポンなんだもの。冷蔵庫も良かったわ〜。でも一番便利だと思ったのは電子レンジと呼ばれるものなの。冷たくなってしまったお料理を温め直せるのだから凄いと思わない?」日本で暮らした話になると、たちまち私は饒舌になる。本当にあの世界は便利な物で溢れていたっけ。「そうです
「さぁ、母さん。遠慮せずに上がってよ」結局、私は俊也夫婦が暮らすマンションへと連れてこられた。「おかえりさない、お義母さん」俊也のお嫁さんの瑠美さんが招いていてれた。……瑠美さんを見た時、非常に懐かしい感情が込み上げてきた。何故なら雰囲気がアネットに何となく似ていたからだ。「だけど本当にいいの? 新婚夫婦の家に私なんかがお邪魔して……」すると瑠美さんが笑った。「何を言ってるんですか? ゲルダさんとしてお義母さんと話をするのは楽しかったですよ」「え!? そ、それは……聞きたいような聞きたくないような……」「ああ、本当に大変だったよ。母さんが『私はゲルダ・ノイマンよ』って叫んだあの時は……」「何言ってるのよ、貴方が一番パニックを起こしたくせに。母さんがおかしくなってしまったーって!」笑いながら会話をする二人を見ていると、こちらも楽しい気持ちになってくる。うん……。本当は私、寂しかったんだ。俊也が結婚して家を出て……あの団地に1人で暮らすことが寂しかった。仕事にうちこんでいたものの、心の何処かでは寂しさを抱えていた。そんな時、私とゲルダの前世が入れ替わり……ゲルダはラファエルと離婚でき、私は俊也と瑠美さんと暮らせるようになった。そして私達は元に戻ったのだろう――**** 私が元の小林美穂に戻り、あれから1ヶ月が経過していた―― 「こんにちは、小林さん」「はい、よろしくお願いします。真鍋先生」ジョシュア先生に似た雰囲気の心療内科医の真鍋先生に挨拶する。「どうですか? その後」「はい。今はもうすっかり元の自分を取り戻しました。パン屋も無事オープン出来たし……順調です」「そうですか。ではもう小林さんを診察するのも……本日で終わりですか……」真鍋先生は寂しそうに笑った。「そうかもしれませんね」すると急に真鍋先生は真顔になる。「実は……本当はもっと小林さんからゲルダ・ノイマンとして暮らしていた頃の話を聞きたいのですよね……出来れば今度は診察室の外で」「え……?」私は顔を上げた。「今度は……患者と医師ではなく、まずは友達として会えるでしょうか?」真鍋先生は笑って私を見る。その笑い顔は……ジョシュアさんによく似ていた。勿論……私の答えは決まっていた――****「ふぅ〜…今日も良い天気ね…」私は空を見上げてシェアハウスの住人達
「え?」目が覚めると私の目に蛍光灯が飛び込んできた。「え……? 蛍光灯……?」そんな馬鹿な。この世界に蛍光灯があるはずは……。すると、白衣を来た見知らぬ中年男性が私を覗き込んできた。でも……その面影には見覚えがある。そう、ジョシュアさんを何となく連想させた。「目が覚めましたか? 小林美穂さん」「え……? 小林美穂って……前世の私の記憶……?」すると、背後から声をかけられた。「良かった……元に戻ったのですね?」「え?」その声に驚いて振り向くと、白衣を着たケンがいたのだ。「えっ!? ケ、ケン!?」「ああ……良かった、小林さん。成功したみたいですね」ケンは嬉しそうに笑う。「え? 成功……? 一体どういう……」身体を起こすと、そこは応接室のような場所だった。部屋の至る所に観葉植物が置かれ、大きな水槽には熱帯魚が優雅に泳いでいる。「まずは……そうですね。自分の顔を確認してみましょうか?」ジョシュアさん? もどきの男性は手鏡を渡してきた。「さ、どうぞ覗いてみて下さい」「は、はい……」クルリと鏡を自分の方に向けて驚いた。そこに映っているのは長年見慣れていた私……「小林美穂」が映し出されている。「え……? こ、これは一体……?」何?一体私の身に何が起こったというのだろう? 私はゲルダだったはず……。ついさっきまでシェアハウスの皆と楽しくパーティーをしていたはずでは?何が何やら分からずに呆然としていると、ケンが言った。「まずは外で待っている息子さんを呼びましょうか?」「え……? 息子……?」ケンは扉へ向かうと、ガチャリと開け、何やら誰かと話している。次の瞬間――「母さん!」突如として部屋に飛び込んできたのは……息子の俊也だった。「え!? 俊也!?」すると俊也は周りの目があるというのに、私に抱きついてくると涙混じりに言った。「良かった……母さんが……戻ってきてくれた……」そして肩を震わせて泣いた――**** あの後、私は先生と心理学を専攻している学生、そして俊也から話を聞かされた。私がゲルダとして目覚めたあの日。実際の私は脳梗塞で死にかけていたらしい。前日に頭が痛むと俊也に電話をしていた私を心配になって様子を見に来ると、布団の中で意識を失っている私を俊也が発見。そして救急車を呼んですぐに病院へ搬送され、応急処置が
――18時厨房でパンを焼いていると、バタバタと駆けて来る足音が響いてきた。そして……。「酷いじゃないですか! ゲルダ様!」ウィンターが厨房に現れるなり、大声で喚いた。「は? 何が酷いのよ。それはこっちの台詞よ。ウィンター! 今の今まで何処をほっつき歩いていたのよ! 夕食の準備もしないで!」私は粉まみれの手でウィンターを指さした。「何言ってるんですか! 俺は園芸店に行った後、ずーっとゲルダ様がタクシー会社から出てくるのを待っていたんですよ! なのに……待てど暮せどゲルダ様は戻って来なかったじゃないですか!」私は頭を押さえた。「あのねえ……常識で考えてみたって分かるでしょう? 何時間も戻ってこなければ普通は帰ったと思わない? それに第一、どうして私がウィンターと一緒に帰らなければならないのよ。そんな約束だってしていないわよねぇ?」「ええ……そんなぁ……」ガクリと項垂れるウィンター。しかし、すぐに顔を上げた。「ところでゲルダ様。これ……ぜーんぶゲルダ様が作ったパンですか?」「ええ、そうよ。今夜はパンパーティーよ。取りえず今夜は私が夕食を用意したけど、明日からはウィンター。貴方が料理を作るんだからね? 分かった?」「はい! 分かりました。いや〜やっぱり流石はゲルダ様。口では沢山文句を言ってくるけれども、優しい方ですよね〜。それで俺も惚れてしまったんですけどね」ウィンターはドサクサに紛れてとんでもないことを言ってきた。「ちょっと! あんまり変なこと言うと追い出すからね!」冗談じゃない。こんな話をジョシュアさんに聞かれようものなら……。「やぁ、随分美味しそうな匂いがすると思ったら……ゲルダさんだったんですね?」タイミング悪くジョシュアさんが現れた。「あ! お、お帰りなさい! ジョシュアさん!」笑みを浮かべて迎えると、ウィンターが口を挟んできた。「ゲルダ様! あまりにも俺と待遇が違いすぎやしませんか!?」「当然でしょう? ウィンターは従業員、ジョシュアさんは大事なお客様なんだから、待遇の差に文句は言わないでちょうだい」するとジョシュアさんが嬉しそうに笑う。「本当ですか? そう言っていただけると光栄です。このシェアハウスに住めて本当に良かったです。それじゃ一度部屋に戻りますね」ジョシュアさんは厨房から出ていった。「はぁ……やっ
「ジャンー! ジェフー! お茶でも飲まなーい!?」リビングの窓から顔をのぞかせ、庭で家具の修繕をしていた2人に声をかけた。「はい、行きます!」「丁度喉が乾いていたんですよ!」ジャンとジェフが交互に返事をし、作業の手を止めて屋敷の中へと入ってきた。「はい。いつもご苦労さま、二人は偉いわね。いつも文句一つ言わずに黙々と働いてくれるから助かるわ」2人の前に紅茶を置いた。「え? ゲルダ様?」「一体突然どうしたんですか?」ジャンとジェフが首を傾げる。「ううん、本当にそう思っただけよ」ニコニコしながら言うと、ジェフが警戒心を露わにして私に尋ねてきた。「ゲルダ様……もしや何か考えていますね?」「え? そうなんですか!?」ジェフがギョッとした顔で私を見る。「ええ、実はね……2人にお願いがあるのよ」「い、一体何をさせようとしているんです?」ジャンが紅茶を飲みなが尋ねる。「それはね……」2人の顔にうんざりした表情が浮かんだのは言うまでも無かった――**** 14時を過ぎた頃にハンス、ケン、クリフの3人が荷馬車に荷物を積んで戻って来た。「お帰りなさい、3人共」ドアを開けて迎えに行くと、荷馬車には数個のトランクケースしか入っていなかった。「あら、荷物ってこれだけなの?」あまりにも荷物の量が少ないのでハンスに尋ねた。「ええ、お恥ずかしいですが……家具も全てついている部屋だったので、衣類しか持っていなかったんです」ハンスの顔が赤くなる。「なーんだ、そんなの気にすること無いじゃない。ここは家具付きの部屋があるから安心して暮らせるわよ」「本当ですか!?」「ええ、それじゃ……」するとそこへ畑仕事が終わったブランカが部屋に現れた。「あ、ちょうど良かったわ、ブランカ。ハンスを部屋に案内してくれる?」「はい、分かりました。こちらへどうぞ」ブランカがハンスに声をかけた。「ありがとうございます!」荷物を持ったハンスが礼を述べる。「俺たちも荷運び手伝うよ」「そうだな」ケンとクリフも荷物を持つと、先頭を歩くブランカの後をついて行った。彼らの後ろ姿を見届けると、私はうでまくりした。「さて、パン作りの練習でも始めようかしら」私の最終目的は自分の店……パン屋をオープンさせることだ。ゆくゆくはこの屋敷を一部改装してパン屋を始めたい……こ
「本当に? 本当にいずれ全て話してくれるんでしょうね?」用心深げにケンに確認する。「ええ、勿論ですよ」ハンドルを握りしめながらニコニコ笑顔で答えるケン。恐らく私と話がしたくて自分のタクシーに乗せたことは理解した。それに 見たところ、悪そうな人間には思えない。「ひょっとして……貴方……」言いかけたものの、ケンによって素早くさえぎらる。「すみません、ゲルダさん。今はまだ何も話せないのですが……いずれ全てお話するので、とりあえず忘れて下さい」そんな忘れるなんて……。けれど何故かケンの顔が真剣で、何処か切羽詰まっているように見えたので、私はそれ以上尋ねるのはやめにした――****「ようこそ、お待ちしておりました」モンド伯爵邸ではブランカが出迎えてくれた。「あ、よろしくおねがいします」「お邪魔します」「ありがとうございます」ハンス、ケン、クリフが挨拶する。「それじゃ、皆中へ入ってくれる?」「「「はい」」」3人は声を揃えて返事をした。 リビングへ通すとすぐに私は3人に尋ねた。「あなた達、住まいはどうなっているの?」するとクリフが答えた。「俺は実家暮らしです。両親と妹の4人で住んでいます」「そう? ここにはどの位の時間で来れそう?」「う〜ん……そうですね。歩いても40分位でしょうか……? あ、でも乗り合い馬車の停車場がありましたよね? あれに乗ればもっと早く来れます」「そう? なら貴方は自宅通勤出来そうね? ケンはどうなの?」「俺はアパートメントに一人暮らしです。乗合馬車を利用すればここまで恐らく20分位で来れますね」「それじゃ、最後にハンスはどう?」「はぁ……実は僕、タクシー会社の寮に入っていたんですよ。だからもう出なくちゃいけなくて……」「そう? ならここに住めばいいわ。ここのシェアハウスの手伝いもしてくれれば格安で入居させて上げるから。ところで寮費はいくらだったの?」「はい、5万シリルです。食費は含まれていません」「ならここは食事付きで7万シリルはどう? その代わり、条件としてこのシェアハウスの運営のお手伝いもすること。どう? 悪い話じゃないと思うけど?」「本当ですか!? 実に良い話ですね! 是非ともお願いします!」ハンスは嬉しそうに頭を下げる。「ええ、それじゃハンス。今日からこのシェアハウスの住人よ。